Tuesday 19th August 2025
Durbar Marg, Kathmandu

私は4歳からピアノを習っていました。

長い事子供のころの夢はピアノの先生で、習っているピアノの先生が憧れの女性でした。

私のピアノの先生は大学でも教えている方だったので、小さい頃は当たり前のようにその先生に学べる学校に行きたいな、とぼんやり思っていました。

大きくなるにつれて、ピアノの先生だけでは食べていけない現実や、音楽の世界の厳しさを知り、他の学問にも興味がわいたりして将来どうすべきか考え始めました。

高校三年生で進路を決める時まで音楽大学に進学するか、他に興味のあった学問をを学べる学部を選ぶかとても悩みました。

音楽大学を受験する場合、各大学によって試験にも特色があります。

ピアノの場合は課題曲を練習する必要があり、楽典という音楽に関する勉強もする必要があります。

そのため、音楽大学は滑り止めをいくつも受けることができるような受験対象ではありませんでした。

私が当然音楽大学に進むと考えていたようで、ピアノの先生は自分の大学であれば自分が世話をしてとってあげることができる、と話してくれました。

もちろん、他の学生と同じように受験は必要だし、試験の際にあまりにひどい演奏や成績だと先生も迷惑をかけるし落とさざるを得ないので、努力や練習は必要です。

今ではこういった事はおおっぴらに約束は出来ないかもしれませんが、音楽大学では見込みがあると分かっている生徒を教えている先生方がとってくれるのは珍しい事ではありませんでした。

私の周りの音大受験者は小学校を過ぎたら音大の先生が個人的に教えてくれる所へうつったりするのが普通でした。

そうすることで、レベルも上がりますし、道も開けてくるからです。

全く縁のない所で受験する人もいますが、有名な音大を受ける時はそこで教えている先生に単発で予約をして高額なレッスン料を払い、個人的にレッスンを受ける事がよくあります。

評価される演奏の傾向があったりするので、それを教えてもらうのは非常に役に立つものです。

私は結局習っていた先生の音大と普通の大学を併願して受験しました。

受験の会場に慣れ親しんだ先生がいてほっとしたけれど、いつも見せて下さる柔和な顔ではなく、他の試験科の先生と同じように審査をする対象として、一受験生として自分を見ている顔だ、と感じたのは今ではとても良い思い出です。

とって下さるつもりはあってもやはり、審査は平等です。

そう思うと、なんだかやってやろうと負けん気が出て、緊張や手の震えが止まりました。

間違えないのは当然の事ですが、習ってきた全てを込めた演奏ができたと思います。

その平等な審査を経ての合格だったので、後ろめたい思いをせずに堂々と受け取ることができました。

将来を考えて私は結局普通の大学に進学しましたが、長く続けてきたピアノの締めくくりとして音楽大学の受験はとてもよい経験でした。

すっきりと選んだ道を歩く事が出来たのはあの時の受験のおかげだと思っています。

武蔵野音楽大学も評判良いですよ。

→武蔵野音楽大学の概要やキャンパスライフ、設備や入学試験について紹介するサイト

最終更新日 2025年7月24日

Back To Top